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ジャニーズが持つ「男の子性」

 

私にとってアイドルの楽しみとは、「男の子性への憧れ」と「若さの消費を楽しむこと」。

 

「男の子性への憧れ」とは、女に生まれた私が本来比較するはずのない男の子たちに対する羨望と憧れだ。

 

小学生の時はしばしば「男の子になりたい」と思うことも多かった。その理由はいろいろあるが、男の子が持つ(世間の目から許されている)行動の自由度と、男の子たちが集まる時の「わちゃわちゃ感」「人情とドライさの絶妙な線引き」「損得の少ない関係性」「その一瞬を謳歌するシンプルな生き方」のようなものに憧れを抱いていたからだ。

 

今ではあの時ほどの憧れはないが、それでもジャニーズ(特にJr)を見ていると、自分が昔抱いていた「男の子性」を見て楽しむことができるし、どこか少し懐かしい気持ちになる。それが、ジャニーズのひとつの魅力だと私は思っている。

 

 

 

そして彼らは普通の男の子であるということに加えて、自分には絶対縁のないステージに立ち、人気商売という完全実力主義で理論など通用しない世界で戦っている。

 

どの子も整ったルックスを持ちあわせているのに、ルックスだけではデビューできないシビアな世界だ。美しい顔に生まれていても、アイドルとして成功するために求められるもう一つの側面「人間性やパフォーマンス」という部分を、ファンは見ている。アイドルとファンの距離は遠く一人の人間として交流することはないのに、目の肥えたファンは彼らの一挙一動に敏感だ。そんなシビアな世界。長くて暗いトンネルを突き進みながら努力でのしあがならければならない世界。Jrたちはそんな世界で夢を追いかける少年でありながら、普通の少年、青年でもある。そこに私はもうひとつ、「若さという脆さ」を感じる。

 

それは例えるなら、熟れる前の青いりんごであり、誰もがいつかこの時を思い出して感傷に浸ってしまうような10代の若さと勢いは、儚く美しい。

 

自分が持って生まれた「女」という性では経験できなかった、「少年」としての若さを、彼らの姿を見ることで「体験」しているのだと思う。それはある意味、彼らが私たちにさらけ出している「若さ」の消費行為とも言える。私がまだ十代でジャニヲタだった時は全く感じることはなかったが、最近、私がアイドル鑑賞を通して楽しんでいるのは、ジャニーズアイドルの「あの子」への異性としての好意ではなく、彼らの「若さ」を消費することで自分が経験したことのない過去(男の子の青春)を新しく経験していることなのではないか、と思っている。シンプルに言えば、彼らは目的ではなく、手段なのだ。私がコンサートに出向いても手作り団扇も持たず、グッズも買わず、ペンライトも持たず、ファンサなど貰えるわけがないそのスタンスで満足しているのは、きっと彼らからの私い対する矢印を期待している訳ではないからなのだろう。